東北本線で北上から平泉間の車窓からの写真。ここは、結構直線が長いんですよ。っていうので、一番前の車両に乗って、運転席の横からワンショット。ちょうど貨物列車がすれ違っていきます。
母方の親戚が一関で、子供のころの汽車と言えば、この路線でした。
そのころはまだ、蒸気機関車だったと思います。
ピーっと汽笛が鳴って、ゴトゴト、ゴトンって、連結器がぶつかる音がして走り出す。車両間の扉も全部開いているから、最終車両の出口の扉から光が入ってるのが見えて、ゴトゴト、ゴトンって音と同じく、車両がぶつかって動くのが見えるんだ。線路がまっすぐだからね。
客車は、木製だったような。床は木で、油をしみこませた汚い床。もちろんボックスシートで、シートを手ではたくと埃が立って、手の後が付いたっけ。喜んで遊んでいると怒られた。棚はネットで、天井には環状の蛍光灯だったような。そう、銀河鉄道777に出てくるようなやつ。
背もたられの通路側には、大きなへらのような、手でつかむ」とこがついていたよ。空いてるのをいいことに、靴を脱いでシートに上がりこんでいる僕は、そのへらをつかんでボックスシートを次々渡り歩いていたら、今度は車掌さんに怒られちゃったよ。
ボックスシートで、足を反対側に渡して伸ばしている母や伯母の足を、橋代わりにわたりっこするのも、楽しみだったね。
外を見ていても面白かったな。もちろん田んぼばっかりなんだけど、線路沿いには、電線が走っている。電柱は木製で、電線をかける算木がなぜか4・5本かかっていて、電線がダラーんと架かっている。汽車は、その横を走るから、電柱に近づくと電線がビューンと視界の上のほうに飛んでいって、電柱が過ぎると下がって、また、電線がビューンとあがる。そのリズムとスピード感が快感だったよ。
そのころは、窓の外に顔を出して遊んだりね。風に向かってる快感なんだよね。で、汽車の煙で、汚れるからやめなさいって、言われた。で、で、トンネルになると窓を閉められました。
ついでに、切符を窓から飛ばしちゃって、母はあわてていたのを思い出しました。
そんな、汽車の思い出なのですが・・・今の電車は少し物足りないよ。便利だけどね。
あっ、例の電柱。
子供の勉強に付き合って、「土門拳の古寺巡礼」の第1巻東日本を見ていたら、衣川と北上川の合流地点の雪景色の写真に、ありました。転々と線路沿いと、田んぼの中にも結構立っていました。なんだか懐かしくなって、・・・
この前、義経最期の地、高館から見降ろし、変わらぬ風景と思っていましたが、やっぱり結構違うんですね。
東北本線、北上-一関間。僕の汽車の思い出です。
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