2012年3月21日水曜日

中学校卒業式PTA会長挨拶


はためく旗のように―深い考えと友情で
高橋 寛

みなさん、ご卒業おめでとうございます。
義務教育の9年間を無事修了されたことを心よりお祝い申し上げます。
来賓の皆様、先生・職員の皆様には、保護者を代表してお礼申し上げます。子どもたちが無事卒業できましたのも、皆様のご指導の賜物と思っております。
さて、私が先ほどから座っていた席からは、今日卒業するみなさんの横顔が私の目前に広がり、「毅然としたまなざし」で前を見つめています。これから歌われる合唱も元気よく「調和の取れた声・ハーモニー」で聞こえてくるでしょう。見上げればこの体育館2階の窓の外には、「青空の下、旗がたなびいて」います。
このような光景を見ていると、感動的です。一方、わたくしの35年前の姿をみなさんに重ね合わせ感傷的な気分となっています。
しかしこれはわたくしの過去を思い出し感傷に浸っているだけではありません。みなさんの成長した姿と、将来を重ねているのです。
みなさんの「毅然としたまなざし」には、勉強や体験で得た、深く考える力が宿っているように見えるのです。みなさんの「調和の取れた声・ハーモニー」は、クラブ活動・生徒会・クラス活動で培った、かけがえのない友情によって奏でられているように聞こえるのです。
この二つは、3年間の貴重な時を過し、身に着けた成果といえるのではないでしょうか。
そして、「青空にはためく旗」には、風に向かいながらたくましく活躍するみなさんの姿が重ねあわされているのです。
ひょっとしたら、みなさんにはこの大切な成果、つまり深く考える力、それと友情が、米粒ほどの、ちっぽけなものに思えるかもしれません。
私の体験で、年齢を重ねるということは、忘れるだけでなく、時に拡大鏡のように一部を極めて大きく映し出すことをさせます。
みなさんには、いま米粒ほどにしか見えないものでも、後で振り返ればそれは大きな財産なのだと思います。
今日卒業するみなさんは、4月からはそれぞれ別の道を進むわけです。
「毅然としたまなざし」に現れている、勉強や体験で得た、深く考える力、そして、「調和の取れた声・ハーモニー」に現れている学校活動で培った、かけがえのない友情を糧に、卒業するみなさん全員が、将来、それぞれのデザインの、色とりどりの旗を、大空に、堂々と、はためかせることを信じています。
そのために、それぞれの道をゆっくり、粘り強く、着実に歩んでくれることを祈っています。
小岩2中卒業のみなさん、頑張ってください。
これでわたくしからの祝辞を終わります。

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以上が、平成23年度小岩第二中学校PTA会長挨拶です。
400字×3枚で、約3分のスピーチではないかと。

結局、徹夜で考える羽目に。

実は、この中学校の卒業式に、僕は、今年も含めると、8回も出席している!!・・よーく考えてみれば・・。というのも、小学校のPTA会長を6年もやってしまって、6回出席、それで、昨年は副会長で今年で、計8回。ひょっとして、8年もいる先生って、今はほとんどいないし、8人子どものいるひともいない。

そんなことで、来賓席に座って、いつも印象的だったのが、「生徒の横顔」「合唱」そして、「窓から見える国旗」だった。体育館の2階の窓から逆光気味の光に浮かび上がる横顔は、緊張でまっすぐ前を見ている視線とともに、すがすがしく美しい。中学生ともなると男子は声変わりし、小学校とは違い、二部構成の合唱は、うまい下手に関わらず、ジーンときてしまう。泣くのが恥ずかしく上を見上げると、体育館の2階の窓から、空を背景に国旗がはためいているのが見えて、・・そんな光景を、ずーと見てきて、この印象をテーマに、挨拶にした。

実は、今年亡くなり話題となったスティーブ・ジョブスのスタンフォード大での卒業生へのスピーチ「フーリシュ」を引用しようとか、も、考えていたりしていた。Youtubeで見て、ついでに、ビル・ゲイツの母校ハーバードでの卒業生へのスピーチも、あらためて見たりした。それで、あらためて思ったのであるが、二人とも、自分の体験に基づく、実際の話であることに、はたと、気が付いた。彼らは、大成功者であるから、さらに、説得力があろう。・・自分のしては、何も成功を収めているわけではないし、・・少なくとは、やっぱり、自分の体験、自分の言葉の挨拶にしようと思って、練り直しました。


書いて、学校に行って、はたと気づいた!!話に前に校歌・合唱がない。実は、少しは歌があるだろうぐらいに思い、それを前提に、書いたのであるが・・あわてて、少し、言い回しを変えて、修正。

ちなみに次第は、こう。

  1. 開会のことば
  2. 国歌斉唱
  3. 学事報告
  4. 卒業証書授与
  5. 学校長式辞
  6. 教育委員会祝辞
  7. 来賓祝辞←ここが出番
  8. 在校生送辞
  9. 卒業生答辞
  10. 卒業生合唱(旅立ちの日に)
  11. 式歌斉唱(蛍の光)
  12. 校歌斉唱
  13. 閉式のことば
子どもも、卒業で、受験勉強を見てやったりしたせいか、・・涙・涙で・・挨拶はどうなることかと思ったけど、泣かなかったですよ。スイッチが入ったみたいで・・。
でも、「旅立ちの日に」がはじまり、
「白い光の中に やまなみは萌えて・・」
とはじまると、僕の頭の中には、故郷の山々が鮮明に映し出されて、また泣いちゃう。校歌も母校ではないけど、中学の頃を思い出してまた涙。退場のときはあんまり泣いていられないから、またリセットでたいへん・・

で、最も印象的だったのが、卒業証書授与 のとき、退場のときも、息子は、手も振らず、ロボットみたいな歩き方で、・・なんも、滑稽なような、・・笑いたくなったような、でも、涙で、・・ロボコン息子が印象的でした。
・・先生・ありがとう!!

午後は、近所のホテルで謝恩会。
花束をもらって帰ってきました。

2012年3月15日木曜日

中学校PTA会報 1年を振り返って「Yes.Andから僕らの宿題」


Yes.Andから僕らの宿題

会長の任を受け「長いなー」と感じた4月から早1年「早いなー」が率直な思いです。
1年を振り返り、学級・成人・郊外・広報の各委員の皆様には、行事の準備手伝い・花の植え替え・朝の一声運動・本誌作成などの小岩二中独自の活動のほか、区・江中P連主催の様々な研修会への出席と、その継続的・献身的な活動が、PTA活動の中心であるのだとつくづく感じます。 また、岩二祭では、準備から多くの会員参加のもと、盛況で終わることができました。
本誌の本年度1号にて、「Yes.Butでなく、Yes.Andではじめよう・・」などと書きましたが、総務会・岩二祭実行委員会などでは、積極的意見も出され、教育環境への思いも、垣間見ることができました。
一方、宿題も残してしまったように感じています。「教育環境の向上のために、我々の活動や会費が100%生かされているか!」ということです。1月の総務会では、他区ではあるが江戸川区にはない補助教員の話題が出ました。本会活動目的の「教育的環境の整備」のため、必要であれば補助教員拡充への補助などの新しい積極的試みも「あっていいのではないか?」と感じています。
小岩二中にとっては大事、前古庄校長先生から橋本校長先生への交代もありました。前古庄校長には早い病気の回復を願っています。ともに生徒の健やかな成長を願うものです。

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以上が、今年度、最後のPTA会報の挨拶です。

年度始め「Yes.But」でなく「Yes.And・・」で始めようなんて、言ってたけど、・・うーん、大きな成果はないような・・一応文面では、上のようにうたってますが・・・


一つ楽なことがあって、予算が厳しくないこと。江戸川区も数年前・・娘が中学入学の頃だから7・8年前だと思うのだが、学校選択制になって、不幸にも小岩2中がそのときは不人気で、2クラスになったとかで、随分資金面で厳しかったこともあるみたいで、当時の人たちはヒーヒー言ってたとか。・・でも、その学年は、いい中学に進学できた人が多かったとかで、何がいいのかわからないのであるが・・
それで、今は、といえば、4クラスで、来年は5クラス、随分潤っているのである。

一方、出費はけちけち作戦。十数年前、PTAに会長で関わったときは、小学校でも、入学式、卒業式には、来賓の控え室で、ビールとお酒を出して、ささやかなお祝いをやったし、PTA会長で中学校の入学式、卒業式に行けば、小学校より羽振りよくやっていた。
PTA総会の後の歓送迎会でも、体育館で料理とビールを出してやっていたよ。
とことが、最近は、どんな理由でもお酒は駄目の方針らしい。世の中もそんな感じで、使うお金も先細りの感じ。
お酒の話で言うと、そんながちがちやってどうするの?って、僕は思うけどね。

大阪の体育教師が体育教員室で、ペットボトルにお酒を入れて、スパゲティー作っていたってテレビで報道していたよ。テレビの報道の論調も、インタビューに答える一般のおばちゃんもけしからん!って怒っていた。でも、いいんじゃない?と思うよ。あんまり、がちがちにしなくって。
僕の高校の体育教員室から、イカのあぶる匂いがしてきたこともあるしねー、適当に茶々入れて、生徒と教員の間が適当に和らぐって、ものよ。クラブ活動の顧問になって、夜遅く付き合ってたら、それぐらいいいと思うよ。

そう、インタビューでは、会社の中じゃ絶対飲まないでしょ!っておばちゃん言っていたけど、本当にそうか?一昔前は、引き出しに酒を、潜ませていた人がいたよねー。若いときは、酒を飲まないと、本音をぶちかませないから、酒の力も借りて、議論をぶちかますのもいいと思うけど。
・・酒の力を、借りる議論など、たいした議論でない??
さらに言えば、「坂の上の雲」を読んでいたら、騎兵隊の創設者で主人公の一人秋山好古は、常に酒を飲んでいた、つまり、食事代わりに酒で、常に酒を携帯・・でも酔わない本当の酒豪・・な様なのであるが、今の自衛隊でやったらどうなっちまうだ!!
あんまり、まじめでギスギスした世の中って、感じだなー


で、話は戻って、PTA。
それで、予算を使おうと、物品を買おうとしても、校長が変るたびに欲しいものが変ったり、そもそも、物は結構あるので、あんまりものを必要としていないって感じがする。本でさえ、図書室が狭くて、買っても置く場所もなく、整理する人もいないって、言われてこともあった。
もう一方で、今年は子供の高校受験で、結構勉強を付き合って、見ていたのであるが、どうも丁寧に見てもらっているとは思えないのが、あった。

どうも宿題ってのは、お決まりのパターンがあって、一つの例が、新聞つくり。
修学旅行などイベントのたびに、調べ学習と称して、調べた内容を、新聞のようにまとめるのである。確かに、話題を決め、調べ、紙面の構成を考え、デザインして、人に見せるように清書して、提出・・なるほど、しっかりやれば総合的力がつくのだと思う。ただ、出してからがいけない・・出しっぱなし!である。
僕から見ると、息子のは、段組の構成が明らかに変!!。僕が言っても、学校の例であったと直さない。・・身内だからしょうがない。先生に言われて気が付くであろう・・と、思いきや、出しただけで、添削らしきものは、なかった。
これは、特定の先生だけでなく、学年が変わっても、変りはないから、大体が出して終わりが普通なのであろう。

もう一つ気になったのが、プリントがやたら多いこと。
どうも、昔のように、黒板に書いたことを、ノートにとって・・なんてもうほとんどなくて、プリント命らしい。
加えて、マンガみたいな教科書で、あちらこちらに、ばらついて記述がしてあって、見難い。その上、副教材が、豊富にあって、教材がいっぱい。
プリントと副教材は、(  )の穴埋め問題。
うちの息子は、本が嫌い?苦手?で、然るに、文章を書くのが苦手?・・これは才能として、かつ遅い。書くのが遅いのは、プリントと(  )の穴埋め問題のため??さらに、(プリント+教科書+副教材)×科目数で、めちゃくちゃ、量が多いこと。整理べたの息子は、部屋がごみ部屋と化している。

それで、放送大学のなつかしの名講義で「西部 邁」氏が、黒板にチョークのみの講義をしていて、若いときのその講義を自ら解説し、「黒板に書いて、一定時間学生に視覚的に見せることにより、思考を定着させる」と言うようなことを、言っていた。
思えば、中学で骨折して入院していた期間、友達から学校で書いたノート(黒板に書いたことを写したもの)を借りて、写していた。高校も、大学も、黒板を写して、ノートをとるのが基本だったような。
大学ともなると、試験前は優秀な友人のノートコピー作戦だった・・・
コピー作戦 の果てが、プリントとすると、・・どちらがいいのか?

それと、少し不信感を抱いてい仕舞うのが、高校受験があるのに、教科によっては進みが遅いのが見られる。要は、受験勉強は、!塾の役目!!的雰囲気があるのでは、なかろうかと思ってしまう。
新聞つくり 作戦、プリント作戦におもう、「なんとなく、やりっぱなし」、受験勉強の塾依存体質っぽい部分が、学校不審を誘い、PTA会長ながら私も思ってしまう。

しかし、先生もたいへんだ。学校は、世話のかかる事件は、外に出したがらない。まあ、当然であろう。それが、人のうわさとなれば、また、冒頭のように生徒が減ったり、それまた、たいへんだからである。
どうも、世話にかかる事件が、やはり結構あるらしい。これは、どこの学校も同様に抱えている問題であろう。・・まあ、江戸川区は、西の方に比べれば、相当手間がかかるのは目に見えている。
結局、学校を良くするには、人手をかけるほか、ないのである。

そこで、「補助教員拡充への補助」となる。

実は、これは学校側からの提案である。江戸川区では、「補助教員拡充の費用」はまったくないのだそうだ。一方、葛飾区、墨田区では、「補助教員拡充の費用」が区から直接用意され、さらにPTAでも、やりくりして、さらに充実されているらしい。

これに、私は「乗り」とみた。

実は、長年PTAに関わってしまった私としては、PTAへの不満がある。
表向きPTAの存在意義をいろいろ言う人はいるが、PTAは100%自らの会員の出資に基づき、自らの長を立て、自らの組織で運営しているにもかかわらず、自らの存在意義は皆無である。
おおよそのPTAの存在意義は、行政の使い走りに過ぎない。
ボランティア・お手伝いといって、行政側のイベントの集客組織であり、行政が運営する学校の手不足のまかない組織に過ぎないのである。
PTAの人手が足りないというのは万年聞いていることであり、少子化により女性の社会進出を国の方針に沿って積極的に行っているのであるから、 人手 は減って当然である。
その上、PTAの存在意義がないのであるから、なり手不足は当然なのだ。

しかるにPTAの存在意義とは、・・『自分の所属する学校教育の方針に関して、意見する権利・機会を得ることだ!』と思う。できれば、政治的圧力もかけられる力があれば好ましい。

なぜなら、保護者・親の興味は、やはり子供への教育で、前に書いた「学校不審」を、いかに無くすか!、不審だけでなく、問題・課題があればいかに解決するか!できるか!が問題なのだ。

たとえば、学校公開・学校評議員ってのが、江戸川区にも(には?)あるのですが、これは何にも意味を成さない。
学校公開は、誰でも見に行けますよー、ってだけで、ただ見るだけ。アンケートをとって、一方的に集計して、終わり。学校評議員 も校長・副校長の話を聞き雑談する、近所の爺さんの集まりで、・・これ以上いうと険が建つので・・
結局、やったからといって、何も変るものではない。得意のパターン「やっただけ」のシリーズで。

『「学校不審」を、いかに無くすか!、問題・課題があればいかに解決するか!できるか!の問題』
で、その解決は、まずは、保護者・親の疑問を理解してもらい、先生がいかに取り組んでいるかを理解し、課題・問題があればいかに解決しているか!少なくとも取り組もうとしているのか!を理解するしかないのだ。

私は、小学校で6年間、中学校で1年間会長として携わる羽目になったが、結局教員の本音を(何も暴露話でなく、どんな思いで、熱意でやっているのか)、きたことがない。学校の学年ごとの教育方針や課題などの、説明を受けたこともない。
歓送迎会やちょっとしたお酒も控える風潮であるから、教師との距離はいっそう離れている感じも受ける。

方法論は、どうあれ、息子・娘を学校に預ける親の団体が、互いの課題と解決方針を理解しあうことがPTAの意味であり、存在意義だと思うのだ。本来PTAが核となるべき学校公開のシステムが、PTAを最も外郭に押しやり、対面上のシステムだけで学校公開というイメージだけが先行しているのはまったく不幸なことだと考えるのだ。

そこで、この方法論の一つとして、PTA会費からの「補助教員拡充への補助金」を考える。
この予算を、いかに、運用するかを考えることが、学校・教員との本質的対話となることを、強く期待するからである。
予算は、「物から人へ、そして対話へ」である。

最後に、もう一つ記さねばならない。
このような制度は、葛飾区、墨田区が実施しているように、江戸川区が実施すべき制度であろう。少なくとも江戸川区の学力は、高いものであるとはいえない。意味のないセミナー・講習会など、無駄な制度にかける費用を削ってでも、このような必要な施策は、実施してもらいたい。
江戸川区中学校PTA連絡協議会にも、注文だ!
研修旅行のやる、やらないなどつまらない議論に時間をかけていないで、「補助教員拡充の費用」 助成の制度など研究し、江戸川区にも政治的力を、かけて欲しいものだ。

これを、小岩2中次期会長に、引き継いで、おいらはおさらばだ。
後はお任せ、がんばって、チョ。
最後だから、言いたい放題になっちゃいました。・・長すぎ・・・・・

あー!!まだ、「卒業式あいさつ」があった!!ガチョーン!!